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人と付き合う

最近、いろいろな人が「人付き合い」について考えているので、
私も考えてみました。

最初に私の人付き合いの方法は、まず「相手を全力で信じる」ことから始めます。
見た目とか、口調ですべてを決めてはいけないと思っています。
だから、つきあいにくい人だなぁと初めは思っても、
話しているうちにとってもいい人だと思えることもあるからです。

これが私の人との付き合い方の基本です。
だからうざがられたり、積極的にいったのがからまわりすることもあります。
それでも、消極的に相手を知らないよりはいいと思います。

しかし、私は常に疑問に思っています。
「相手は自分を信じているのか」

これは、小中学校の時からずっと抱いています。
人の外面は内面は必ずしも一致しないと言いますがむしろ、
一致しないのが普通なんだと思います。
私のスキンシップのうざさを我慢している人はいます。
それが手に取るようにわかる時、
私は、その人との付き合いに一線を引きます。

高校の時にそうした人は何人もいます。
中学校の時は…
裏切られても可能性があるかもとか思って頑張っていた時期もありました。
そんな期待の裏切りが、幸か不幸か高校ではうまく一線を引くことになりました。

大学に入って思ったこと…
人を信じるのはやはり基本だということ。
相手の真意を汲み取って付き合うことは大切なこと。
それでうまく付き合える人ができるととってもうれしいこと。

逆に無理に付き合う必要もあること。
その時、自分を偽るのは必要なことであること。
偽る自分が嫌いでも、偽らなければ社会には出られないこと。
偽っているのはつらいこと。
だから発散すべきところが必要なこと。
偽る自分が嫌いになっても、
そんな自分とうまく付き合わなくてはいけないこと。

そんな中で誰とでも付き合うことができそして、
誰とも付き合えない方法を見つけました。
私は「全力で相手を信じてぶつかっていく」けれども、
相手からはすべてを受け取らないということです。
私が自分のどこまでさらけ出すかは私の自由です。
だから思う存分自分を知ってもらおうとします。
それが嫌がる人には、偽りの自分を以て接します。
逆に、私のすべてを受け入れてくれる人がいても、
その人が本当に全てを受け入れているかはわかりません。
だから、私も相手のことをすべて受け入れはしません。



近づいて
触れ合うか
その直前に
1枚のガラス

決して触れ合わず
楽しいけれども
宴のあとのような
虚しさ

幼子のような
純粋な付き合い
求めれば水疱

ガラスを敷く
割れそうで割れないガラス
いつになったら壊れるの?

私は叩いた
最初は叩いた
こわれるかもしれない
壊れるガラス
壊れないガラス
ガラスの向こうで
嫌がる貴方

前者は嬉しかった
触れ合う
手を取り合う
でも…
どこまでいけるの?

後者…
私は黙って
笑いかけた




センスのない詩にしてみたら、まさにこんな感じです。
子供のような純粋な付き合いを求めようとすれば、
変なまなざしで見られます。
「もう子供じゃないんだから…」
そこから子どもと大人の境界は?というのはまた別のお話…

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【2009年05月10日22:56 】 | 物思い | コメント(0) | トラックバック(0)
4月17日~乗った列車は~
途中下車できません。
始めた物事は、最後までやらないといけません。
何事もそうなんですけど、それが全部できたら苦労しません。
しかし、苦労しなければ何もできません。

苦労は苦労なのであって、苦労を楽しむという者がおりますが、それはただの快楽です。
苦労しなければならないと頭では分かっていても、
苦労から逃げ出そうとするのは人の嵯峨です。
本能でそれを避けようとしてしまいます。

生きるための第一次欲求はとても強いです。
寝る、食べるなどから子孫を残そうといういわゆる生物的な欲求です。
生物であればみなが持っている欲求です。
しかしマズローの欲求段階説の頂点「社会的欲求」はヒトが持つ特有の欲求です。
これを追い求めるにはそれなりの苦労が必要です。

でも逃げているのは私です。

何事にも中途半端で

何事にも曖昧で

何かと流される

そんな私です。

何を書こうか迷っていたんですけど、朝からこんな日記を書くとは…
いや、これは日記ではありません。
ジャンルに「物思い」を追加しましょう。


閑話休題


初志貫徹

初めに持った志は、最後まで貫徹せよ

いい言葉です。
私が好きな言葉に、これがあります。
しかし、いつもいつも忘れてしまいます。
だから、途中で挫折したり諦めたり…
そんなことが今まで何度も何度もありました。
その度に…
「もう、こんなことはしたくない」
と思いつつも、また同じことの繰り返し…
いつになったらまともなことができるのでしょうか?

正直、不安です。

何に対しての不安なのでしょうか?
自分?過去?家族?将来?他人?
おそらくそんなことは重要じゃないのだと思います。
きっと、自分も家族も他人も、過去も将来も、境界など曖昧で、ただただ漠然とすべてのものに対して不安になっているだけなのです。

何に対しての不安かわからないことへの不安だからループします。

などと考えると、考えるだけ無駄だなと吹っ切れてしまいます。
考えた結果、「答えが出ない」という「答え」が出てきたらそれ以上は考えません。
それ以上の時間をかけるだけが無駄です。



…ここまでが今ままでの私…今の私…
じゃあこれからの私は?



「歳をとればいずれわかる」
「若いから」
「そのうち、いつか…ね」
「○○歳にして、悟る」
など、時間が解決してくれるという人がよくいます。
確かにそうなのでしょう。
こうやって、いろいろ考え、がむしゃらに頑張って自分なりの答えをいずれ見つけるのでしょう。
または、考えるのをやめて、がんばらないでも自分なりの答えは見つかるでしょう。
人は様々だから、その人それぞれの生き方があり、答えがあるのでしょう。

でも、私が知りたいのはそんな話じゃないんです。
これからの私がどうなるかです。
もちろん、他人に聞いても答えなんかわかるはずもないわけです。
だからこその自問自答です。

…いや、自問ですね。
こういう自問自体は苦労でもなんでもありません。
一寸先は闇…未来へ道を作るのが大変なんです。
ここまではわかっています。
あとはどう道を作るかですね。
転んだり、ハードルがあったり大変なことは承知です。
具体的に、どんな石ころやハードルがあるかはわからないので「不安」です。
それでも、切り開いていかなければならないんですね、私。



やはり、具体的な答えは見つかりません。
追い求めても出ない問い…素数の規則性を見出すくらい、円周率をすべて出すより難しいことなんじゃないでしょうか。
そう考えると、なんて馬鹿なことやっているんだろうと思います。
でも、こうやって物思いに耽るとちょっとすっきりします。
気休め程度です。

時々こんなことを考えたりします。
迷ってばかりです。



…よし、がんばっていきましょう。



<あとがき>
見直すと恥ずかしいですね><
実は、これでも考えていたことの何十分の一、何百分の一ほどもありません。
「言葉にできない」というやつです。
「言葉にできない」という言葉…便利ですね^^

これは私の考えなので、意見はいろいろあると思います。
特に、「いや、自分はこう思う」というのはあります、きっと。
コメントで自由に語ってもらえればいいかなぁと思います。
人の意見も聞いてみたいので…よろしくです!
【2009年04月18日11:21 】 | 物思い | コメント(3) | トラックバック(0)